軽羹と斉彬公

日本の近代化の礎「集成館事業」
1851年、薩摩藩主となられた島津斉彬公は他藩に先駆けて、日本の近代化の礎になる事業に取り組まれました。
大河ドラマ「篤姫」で魅せたその存在感は、記憶にも新しいのではないでしょうか。

薩摩の磯という地に「集成館」といわれる工場群を築き、製鉄や造船、紡績、ガラス、通信、印刷、食品等の事業は多岐にわたります。

この集成館事業の一環として「蒸餅」などの保存食の研究開発も進められました。安政2年新川沿いに水車館を設立、米粉の製造などを行っていたそうです。

斉彬公は、江戸で菓子屋を営んでいた八島六兵衛(播州明石出身)を招き入れました。美味しくて栄養がある保存食の研究の為だったといわれています。
そして八島六兵衛のお菓子が評判となり、「明石屋菓子」といって珍重されました。このことからも明石屋の軽羹は、斉彬公を抜きにしては語れないことがお分かりいただけると思います。

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