皆様へ

薩摩藩島津家は七十七万石の全国でも有数の大藩でありました。
また、地理的にみても南は異国の窓口として開かれ、長崎とともに重要なところとして外国に知られていたと思われます。

明石屋は、記録によると弘化四年(1847年)以来、「かるかん」を永い間つくりつづけてまいりました。
よく「かるかん」という名前の由来について尋ねられることがあります。大陸系のものであろうことは推測できたものの、今一つはっきりとお答えするまでに至っておりません。

しかし、長年の歳月をへて改良を加え今日の「かるかん」に至り、鹿児島の特産としてご愛顧いただいております。かねてより、島津家や、東京大学史料編纂所、その他の史料にもとづき創業150年を記念して、1999年(平成11年)には、「かるかんの歴史」を刊行。「かるかん」の歴史をたどるとともに、江戸時代の鹿児島の菓子について調査、研究してまいりました。最近においても新しい発見や史料の解読があり、さらに調査、研究をすすめてまいります。

これまで160有余年にわたり明石屋をご愛顧いただいている鹿児島のお客様、全国各地の皆様、ならびに江戸時代、明治維新、戦前、戦後と歴代にわたって菓子づくりに専念していただいた職人、従業員の皆様に心より感謝申し上げます。

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